徳久克己先生 『甘露の法雨』解釈
第01回 a. 【生長の家】不幸せは「本来ない」?徳久克己が解き明かす『甘露の法雨』の真理
この動画は、生長の家の講師である徳久克己氏が、聖経『甘露の法雨』の解釈を通して、「神」と「実相(じっそう)」の真理について講義したものです。
動画の要約
-
「ある日」と「天の使い」の意味 [01:47] 聖経にある「ある日」とは、過去の特定の日ではなく「永遠の今」を指します。「天の使い」とは、神の救いの霊波が人格化されたものであり、観世音菩薩や大天使ミカエルなど、様々な宗教で異なる姿として現れる同一の救いの力を意味します。
-
神による「創造」の真意 [06:41] 神が世界を造ったというのは、外から材料を集めてこねるような粘土細工的なものではありません。詩人が詩を創作するように、神の心の中から想念の延長として一切が生まれる「心のしわざ」であることを解説しています。
-
お釈迦様が「造り主」を否定した理由 [08:24] もし全能で慈悲深い神が世界を造ったのなら、なぜ悲惨な競争や天災があるのかという矛盾が生じます。お釈迦様はこの矛盾を突き、不完全な世界を造るような神を否定しました。これは「迷い」が不完全な世界を見せているのであり、神が造ったのではないという真理への導入となります。
-
「実相(真実の姿)」と「現象(仮の姿)」 [23:41] この世の不幸や病気は「現象」であり、本来はない(無)ものです。真実の世界(実相)は神の御心のままであり、完全円満です。コップに入れた棒が曲がって見えるように、私たちの「迷い」の目を通して見ているから不完全に見えるだけで、本来の自分は常に幸せで完全であると説いています。
-
物質は無いという真理の実践 [33:45] 物質は本来「無」であり、想念が形を作ります。松下幸之助氏などの成功者を例に挙げ、自分を「乏しい」と思うのではなく、神の無限の供給を信じて「出す(与える)」ことで、現実の世界も豊かに変わっていくという心の法則を教えています。
第01回 b.
第02回
この動画は、「生長の家」の徳久克己講師による聖経『甘露の法雨』の解釈講義の第2回目です。「実相(じっそう)」と「現象(げんしょう)」という、生長の家における根本的な教理について詳しく解説されています。
主な内容は以下の通りです:
-
「ある日」の真の意味 [01:45] 聖経の冒頭にある「ある日」とは、カレンダー上の特定の日ではなく、時間や空間を超越した「永遠の今」を指しています。真理は過去の出来事ではなく、常に今ここに現れているものであると説明しています [02:12]。
-
「実相」と「現象」の区別 [00:32] 目に見える世界(現象)は変化し続ける仮の姿であり、その奥にある変わらない完全な世界(実相)こそが真実であると説いています。この理解が、あらゆる問題を解決する宗教的根底となります。
-
神と自然の力 [05:51] 神は目に見える「形」として存在するのではなく、宇宙を動かし、地球を回転させ、生命を育む「力」そのものです。「自然」という言葉も、そのまま神の力の現れであると解釈しています [05:58]。
-
「作る」のではなく「浮かぶ」 [06:47] 詩人が詩を作る際に材料を必要とせず心に浮かぶものを書き留めるように、実相の世界も神の叡智によって心(心像)として現れるものであると、具体的な例を挙げて語っています [07:03]。
-
無神論への対峙 [07:46] 仏教の一部にある無神論的な考え方にも触れつつ、単に物質的な存在としての神を否定するのではなく、生命の根本としての実在を認めることが重要であると述べています。かつて神を否定していた若者が真理に触れて変わっていく様子も紹介されています [11:13]。
-
「実相円満完全」の唱え [01:22:03] 日常の忙しい生活の中でも、歩きながらや家事をしながら「実相円満完全(じっそうえんまんかんぜん)」と口に出して唱えることを推奨しています [01:22:13]。これにより心が落ち着き、物事がスムーズに運ぶようになると説いています。
全体として、非常に難解な教理を、日常生活に即した分かりやすい例え話や講師自身の体験談を用いて解説しており、真理をいかに生活に活かすかに重点が置かれた講話となっています。
第03回 a.
009
010
テキスト:
連続して聴く
つぎ




コメント