前回⇒

第06回
a.運命を劇的に変える「神の子の自覚」と一切責任の教え
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 父と御子と聖霊の真理
01:25 内在するキリストと万物を支配する力
03:30 一切万事我より出て我に還る自覚
04:15 愛を与え相手を幸せにする生き方
05:30 現象を否定し心から根本的に直す
06:15 アメリカでの英語集会と体験談
09:15 相手を変えるのではなく自分の心を変える
11:45 相手を「神の子」として拝む実践
13:10 万物を自由に支配する心の力
15:10 愛の表現と優しい言葉の大切さ
18:10 子供の美点を見つけて褒める教育
20:30 神の怒りと因果の法則の真実
24:30 サマリアの女とヤコブの井戸
29:15 永遠の命の水と神の子の自覚
33:30 現象のご利益は「おもちゃの宝」
38:40 宗教の真の目的は永遠の生命を与えること
42:15 夫を呼びなさい:イエスの霊視と改心
2. 要約
本動画では、聖書「ヨハネ伝」を題材に、人間が「神の子」であるという真実をいかに自覚し、人生を支配していくかが説かれています。徳久先生は、周囲の環境や相手を責めるのではなく、「一切万事我より出て我に還る」という自己責任の自覚こそが運命を切り拓く鍵であると強調します。 また、病気平癒や経済的繁栄などの現象的なご利益を、魂が成長するまでの「おもちゃの宝」と例え、その奥にある「永遠の生命」を自覚することこそが宗教の真の目的であると語ります。サマリアの女との対話を例に、肉体の欲求を超えた「乾くことのない命の水」の尊さを説く、慈愛に満ちた講話です。
b.人相でわかる性格と運命|なぜ「感謝」だけで体まで変わるのか?
1. チャプター
00:00 人相から読み解く性格と運命
01:10 理想追求型と現実型:顔の形でわかるタイプ
02:15 夫婦円満の秘訣:似た者同士より補い合う関係
03:41 鼻の高さと「我」の強さ:東洋精神と西洋精神
04:58 美しい目と豊かな口:心の澄み具合と生活の勢い
06:28 「お多福」の真意:世間に自分を埋めて尽くす徳
08:01 人を褒める習慣が人生を拓く
09:16 相手の心を掴むコツ:キリストに学ぶ「いい所探し」
11:13 皮膚は心の鏡:人との接触と感謝の相関関係
12:20 親への感謝で二十年来の湿疹が治った体験談
15:11 形や場所に囚われない「真の礼拝」とは
17:42 実相(神の世界)と自分を一つに合わせる智慧
21:12 神は霊なり:物欲を離れ、まず神の国を求める
23:55 弟子たちの誤解とイエスの説く「真の食物」
28:10 使命を果たす喜びこそが最高級の栄養食
32:51 利己主義(が)は病の最大原因である
35:30 恐怖心を捨てて国に尽くす決意が病を消した実話
41:10 秘訣:利己主義を直し、神の命を流入させる
2. 要約
本講話では、イエス・キリストとサマリアの女との対話を通じ、真の宗教のあり方と健康の秘訣が語られます。前半では「人相」を例に、相手の長所を即座に見つけて褒めることが、人間関係を調和させ、相手の心を掴む鍵であることを説きます。 後半では、病の根本原因が「利己主義(が)」にあると鋭く指摘。自分のことばかりを考える心を離れ、神から与えられた「使命(みわざ)」を果たす喜びを生きがいとするとき、それは肉体をも養う最高の栄養となり、奇跡的な癒やしが起こることを、徳久先生自身の鮮やかな指導体験を交えて伝えています。
第07回
a.あなたの心に救い主はいますか?ヨハネ伝に学ぶ、真理を伝える勇気と確信
1. チャプター
00:00 導入:信ずる者が受ける「生ける水」の約束
01:30 渇くことのない「命の水」を求める
03:15 サマリアの女が伝道者へと変わった瞬間
05:10 メシアに出会った喜びと水瓶を置いた決意
07:20 自分の体験した真理を隣人に伝える勇気
09:40 証言の力:一人の目覚めが町全体を動かす
12:15 イエスを自分の家に迎え入れるということ
14:50 二日間の滞在:言葉による直接の教え
17:30 伝聞の信仰から「自らの体験」による信仰へ
20:05 全人類の救い主としてのキリストを自覚する
23:00 自分の心の中に「救い主」を見出す智慧
2. 要約
本講話では、サマリアの女がイエスとの対話を通じて「生ける水」の真理に触れ、瞬く間に伝道者へと変貌を遂げる劇的なプロセスが語られます。彼女が水瓶を置いて町へ走り、隣人にイエスを伝えた行動は、真理に触れた者の魂の底からの歓喜を象徴しています。徳久先生は、単なる知識としての信仰ではなく、自分自身で真理を体験し、確信を得ることの重要性を強調。一人の目覚めが周囲を動かし、やがて町全体がイエスを救い主として受け入れるに至る「信仰の連鎖」を、温かな語り口で解き明かします。
b.祈りが届く瞬間とは?ヨハネ伝に学ぶ、絶望を希望に変える「確信」の持ち方
1. チャプター
00:00 導入:ガリラヤへの帰還と預言者の故郷
01:15 預言者は自分の故郷では敬われないという心理
02:50 外見や過去の記憶に囚われる「肉の目」の限界
04:45 ガリラヤの人々の歓迎:エルサレムでの奇跡を見て
07:10 王の役人の登場:息子を死の淵から救いたい一心
09:30 「下ってきてください」という懇願と執着
12:15 イエスの叱咤:しるしと不思議を見なければ信じないのか
14:40 信仰の試練:目に見える奇跡を求める心を離れる
17:25 「行け、あなたの息子は助かる」という言葉の力
20:05 役人の変化:イエスの言葉をそのまま信じて歩き出す
23:10 途上での確信:言葉が成就した瞬間の共有
26:45 息子が癒えた時間と、イエスが語った時間の合致
29:50 家族全員の信仰へ:一つの奇跡が波及する力
33:15 第二のしるし:絶望を希望に変える「言葉」の絶対性
2. 要約
本講話では、イエスがガリラヤに戻り、死の淵にあった王の役人の息子を「言葉一つ」で癒やす場面が語られます。徳久先生は、役人が当初抱いていた「イエスを家に連れて帰らなければ治らない」という形への執着が、イエスの言葉をそのまま信じる「絶対の信頼」へと昇華していく過程を鮮やかに描写。目に見える奇跡(しるし)を追うのではなく、神の言葉が発せられた瞬間にすでに救いは成っているという、時間と空間を超越した真理を説いています。役人の息子が癒えた時間が、イエスの宣言した時間とピタリと一致していた事実は、私たちの言葉が持つ創造的な力を象徴しています。
第08回 「汝いえることを願うか」——イエスが問いかけた、治癒を阻む「利己主義」の正体
a.
1. チャプター
00:00 導入:ヨハネ伝講義 第8回「ベテスダの池」
01:23 38年病む男とイエスの対話
02:24 安息日の規定とユダヤ人の批判
03:15 ベテスダの池の伝説と現代の癒やし(ルルドの聖泉)
04:08 病人の心に潜む「利己主義」と「我」
04:55 「汝いえることを願うか」と問う理由
07:15 病気を「楽しんで」しまっている心理状態
08:35 私を信じられるか:信仰におけるレジスタンス(抵抗)
10:15 様々な治療法:プラナ療法・暗示療法・思念療法
12:15 内格(内臓)精神療法:細胞の心に呼びかける
13:38 メタフィジカル・ヒーリング(実相的治癒)とは
15:50 規則のために人間があるのではない
16:45 本を読んで病気が治る原理:神の光に触れる
18:25 宗教とは「神が人の心に触れるもの」である
19:50 回心(コンバージョン):肉体人間から神の子へ
21:35 古き自分は過ぎ去り、新しき神の子が実現する
22:50 なぜ個人に手をついて治してはいけないのか
24:45 自分を隠し、神に栄光を帰したイエスの模範
26:15 感謝の受け取り方:主人と女中と犬の例え
31:45 再び罪を犯すな:病の背後にある「心の影」
36:20 罪の語源「包み」:実相を自覚しないこと
38:50 実体験:親への詫びが息子の問題を解決した話
41:40 自分を変えれば世界が変わる:八百半・和田家の事例
2. 要約
本講話では、エルサレムのベテスダの池で38年間病んでいた男が、イエスの言葉によって癒やされる場面を解説しています。徳久先生は、病の根底には「他人を押し退けても自分が先に」という利己主義(我)や、病気でいることで周囲の関心を引こうとする複雑な病人心理があると指摘。イエスが放った「良くなりたいか」という問いは、本人の治癒への意志と信仰を確認する極めて重要なプロセスであったと説きます。また、手当てや暗示などの様々な療法を紹介しつつ、真の救いとは「肉体人間」という見方を捨て、「神の子・実相」としての自分に目覚めること(回心)であると結論づけています。
b.なぜ聖書を読んでも救われないのか?形に囚われる心を打ち破る「命」の教え
1. チャプター
00:00 導入:父と子の一致と安息日の論争
01:10 父(神)が働くから子も働くという真理
02:45 宗教的規則よりも「生命の救済」を優先する
04:20 イエスを殺そうとするユダヤ人の心理と反発
06:15 独りで働くのではない:神の働きを映し出す自分
08:40 裁きの権能:なぜイエスに裁きが委ねられたか
11:05 善を行なった者は命の復活へ、悪を行なった者は裁きの復活へ
13:30 「死人が神の子の声を聞く時」の霊的解釈
16:20 自分の意思ではなく、遣わした方の意思を求める
18:45 証言の正当性:イエスを証しする4つの証言
21:10 バプテスマのヨハネという「燃えて輝く灯火」
24:00 イエスのわざそのものが神を証明している
27:35 父なる神自らが直接心に証しをしてくださる
30:15 聖書を調べていながら、命の源であるイエスに来ない矛盾
33:50 人からの誉れを求めず、神からの誉れを求める生き方
37:15 モーセの言葉があなた方を裁く:真実への盲目
40:30 結論:形に囚われず、命の根源に繋がる重要性
2. 要約
本講話では、安息日に病人を癒やしたことでユダヤ人から激しく非難されるイエスが、自らと父なる神との「一体不可分な関係」を宣言する場面が描かれます。徳久先生は、イエスが自分自身の力で奇跡を行っているのではなく、常に父の働きをそのままこの世に顕現させている「空(くう)」の境地にあることを強調。また、聖書を読み込みながらも、その中心にある「命」そのものであるキリストを拒絶してしまう人々の矛盾を指摘し、人間の評価や規則に囚われるのではなく、神からの誉れを第一に求める生き方こそが真の救いへの道であると説いています。
第09回
a.足りない不満を「感謝」に変える奇跡|五千人を満たした豊かさの法則
1. チャプター
00:00 導入:五千人の給食と生命のパン
01:35 舞台はガリラヤの海の向こう岸へ
03:10 多くの群衆がイエスに従った理由:しるしへの関心
05:20 試される弟子たち:フィリポへの問いかけ
07:45 人間の計算(二百デナリ)と神の計らい
09:50 アンデレが見つけた「五つのパンと二匹の魚」
12:15 小さな捧げ物を感謝して祝福する力
14:40 五千人が満たされる:奇跡の背後にある「感謝」の波動
17:30 余ったパンの屑を拾い集める:神の恵みを粗末にしない
20:15 王に担ぎ上げようとする群衆と、独り山に退くイエス
23:10 物質的な満足を超えた「永遠の命」の探求
25:50 湖の上の歩行:嵐の中でのイエスの出現
28:40 「私である、恐れることはない」という言葉の真意
32:15 目的地へ直ちに着く:霊的な次元での移動と解決
35:40 翌日の群衆の動揺:パンを求めて追いかける人々
38:15 朽ちる食物のためではなく、朽ちない食物のために働け
41:20 結論:目に見える奇跡から、内なる生命の自覚へ
2. 要約
本講話では、有名な「五千人の給食」と「湖の上を歩くイエス」の場面が語られます。徳久先生は、わずかなパンと魚を感謝して神に捧げたイエスの姿を通じ、私たちの日常においても「今あるもの」に感謝し祝福することが、限界を突破する大きな力になることを説きます。また、奇跡を見てイエスを政治的な王にしようとする群衆の物欲的な信仰を戒め、嵐の中でも「私である(実相である)、恐れるな」と語りかけるイエスの言葉こそが、人生の荒波を乗り越え、直ちに目的地へと導く真理であると解き明かします。
b. 形だけの信仰を捨て、魂を養う「命のパン」をいただく極意
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:カペナウムの会堂での説教
01:30 「命のパン」を求める群衆への答え
03:15 天から下ってきた真のパンとは何か
05:10 マナを食べた先祖と、永遠に生きる者の違い
07:25 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」の真意
09:40 霊的な栄養:イエスの命を自分に取り入れる
12:15 弟子たちの動揺:この言葉は聞きにくいという不信仰
14:50 肉は無益であり、生かすのは霊である
17:30 去っていく人々:理解を超えた真理への抵抗
20:05 「あなた方も去ろうとするのか」という問いかけ
22:40 ペテロの告白:永遠の命の言葉があなたにあります
25:15 十二弟子の選出と、一人の裏切り者の予告
28:00 結論:形としての宗教から、命の交わりへ
2. 要約
本講話では、イエスが「自分こそが天から下ってきた命のパンである」と宣言し、人々に自らの肉を食べ、血を飲むように説く衝撃的な場面が語られます。徳久先生は、これが肉体的な意味ではなく、イエスが体現した「神の命」をそのまま自分の命として受け入れるという霊的な合一を指していると解説。多くの弟子たちがその言葉の難解さに去っていく中、ペテロが「永遠の命の言葉」を信じて留まった姿を通じ、目に見える形や理解を超えた先にある、真理への絶対的な信頼の重要性を解き明かします。
第10回
a.自分の殻を脱ぎ、神の智慧を引き出す生き方
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:仮庵の祭とイエスの兄弟たち
01:25 世の憎しみとイエスの時の考え方
03:10 私の時はまだ来ていない:神のタイミングに従う
05:30 密かにエルサレムへ:人々の憶測と対立
07:45 祭のさなかに教え始める:学ばずして知る智慧
10:15 私の教えは私自身のものではない
12:40 神の意思を行おうとする者は真理を知る
15:10 自己の栄光を求める者と、遣わした方の栄光を求める者
18:00 安息日の癒やしを巡る議論の再燃
21:30 割礼と癒やし:規則の奥にある生命の尊重
24:50 外見で裁かず、正しい裁きをしなさい
27:15 エルサレムの人々の動揺:この人はキリストか
30:35 出自を知っているという慢心と、真の神を知らない無知
33:20 捕らえようとしても手が下せなかった理由
36:45 結論:目に見える形に惑わされず、生命の根源を見つめる
2. 要約
本講話では、エルサレムの「仮庵の祭」を舞台に、イエスが自らの教えの正当性と神との関係を力強く語る場面が描かれます。徳久先生は、イエスが「自分の栄光」ではなく、常に「自分を遣わした方の栄光」を求めていた無我の境地を強調。安息日の規定という「形」に囚われて、目の前の生命が救われた「実相」を見ようとしない人々の盲目を指摘します。私たちは外見や既成概念で物事を裁くのではなく、神の御心を行おうとする純粋な意思を持つことで、初めて真理を見分けることができるのだと解き明かされます。
b.心に「枯れない泉」を持つ生き方|内側から溢れ出す幸福の法則
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:祭の終わりの日に叫ぶイエス
01:35 渇いている者は、わたしのところに来て飲みなさい
03:50 生ける水の川が流れ出る:内なる泉の発見
06:20 聖霊の約束:まだ霊が与えられていなかった理由
08:15 祭の群衆の間に起こった分裂(ディビジョン)
10:40 この人は預言者か、あるいはキリストか
13:10 メシアの出自を巡る議論:ベツレヘムとガリラヤ
15:55 捕らえに行こうとした役人たちが手ぶらで戻った理由
18:30 「これほどまでにお話しになった方はありません」
21:15 パリサイ人の傲慢:律法を知らない群衆を呪う
24:00 ニコデモの勇気ある発言:本人の言い分を聞かずに裁くのか
27:10 ガリラヤから預言者は出ないという偏見
29:45 結論:知識ではなく、内なる渇きを癒やす命の体験へ
2. 要約
本講話では、仮庵の祭の最終日にイエスが「渇いている者は、わたしのところに来て飲みなさい」と力強く宣言する場面が語られます。徳久先生は、この「生ける水」とは、私たちの内側から溢れ出す聖霊(神の命の働き)であり、外側に何かを求めるのではなく、自分自身の中に枯れることのない幸福の源泉があることを自覚する大切さを説かれます。一方で、知識や家柄に囚われてイエスを拒絶する指導者たちと、言葉の力に圧倒された役人たちの対比を通じ、理屈を超えた「命の言葉」の力強い響きを伝えています。
連続して聴く



コメント