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第6則-a 「もうダメだ」と思った時に見てください。自己限定を破る「無限力」の引き出し方
1. チャプター
[00:00] 自己限定を破ることの重要性 [02:00] 困難は心の中にしかない:空想の格闘を終わらせる [05:00] 谷口雅春先生の感銘深い解釈:身体の窮地は実在しない [08:00] 自由自在の生き方:視点を変えれば至る所に道がある [11:00] 迷いとは「一部分」に執着すること:病気と感謝の捉え方 [15:00] 【実話】戦時中の九死に一生:不可能な状況を突破した田中総長の話 [23:00] 不可能はない:生長の家の根本的人生観 [30:00] 「生命の実装」に学ぶ:修養と教育、信念の力の違い [43:00] 無限の供給:必要な時に必要なものが与えられる法則 [53:00] 無門関・第6則「世尊拈花(せそんねんげ)」の解説
2. 要約
本動画は、生長の家の徳久克己講師が、禅の公案集『無門関』の解釈を通じて、人間が陥りがちな「自己限定(自分で自分を縛る思い込み)」を打破し、本来備わっている「無限の自由」を取り戻す方法を説いています。 徳久先生は、私たちが直面する「絶体絶命のピンチ」の多くは、実は頭の中だけで作り上げた空想(感覚的な葛藤)に過ぎないと指摘します。戦時中の奇跡的な生還の実話や、病気に対する心の持ち方を例に挙げ、「不可能はない」という信念を持つことで、どんな八方塞がりの状況からでも必ず脱出できる道が開けることを、熱い言葉で伝えています。
第6則-b 執着を捨て、人生に大調和の秩序を取り戻す知恵
チャプター
[00:00] 帝王学としての仏教と『無門関』の真意 [05:40] 「無常」から「実相」へ:執着を捨てるプロセス [10:50] 大乗仏教の核心:無常の奥にある「常住」なるもの [15:50] 釈尊の「拈華微笑」:言葉を超えて伝わる真理 [25:20] 実相の日本国:中心と秩序が生む「大調和」 [39:40] 金色波羅花が象徴する「宇宙の組織体」 [53:50] 喜びの波長:神と共鳴し無限の力を引き出す秘訣 [01:03:00] 感謝の心が幸福を呼ぶ:満たされていることに慣れない知恵
要約
本動画では、徳久克己先生が『無門関』第六則「世尊拈華」を題材に、生長の家の真理である「実相」の観点から仏教の本質を説いています。
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「執着」の打破と「無常」の理解: 多くの人は金銭や名声に執着し、自ら罪や悩みを作ります。釈尊が説いた「諸行無常」は、単に虚しいという意味ではなく、現象への執着を断ち切り、その奥にある「変わらない実在(実相)」を見るためのステップであると解説されます。
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中心のある秩序(大調和): 宇宙や国家、そして家庭においても、一つの「中心」に帰一することで秩序と平和が生まれます。日本の国体が持つ「中心」の理念や、家庭における父母の役割を例に、バラバラな個々が一つに結びつく「大調和」の世界こそが、神の国の構図であることを説いています。
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喜びが「実相」を顕現させる: 宇宙の真理(消防眼蔵)は、誰にでも内在していますが、それに触れるには「心の波長」を合わせる必要があります。神は喜びそのものであり、私たちが今ある環境の中に「良いところ」を見つけ、喜び、感謝する時、初めて内なる無限の知恵と生命が引き出されるのです。
徳久先生の温かな語り口と、深い哲学的洞察が詰まった素晴らしい講話です。ぜひ動画本編でその響きを感じてみてください。
無門関解釈 第7則 迷いを断ち切り「実相」を生きる極意
チャプター
00:00 導入:悟りに対する「構え」を捨てる(修行を特別なものとしない) 00:05 『無門関』第七則「趙州洗鉢」:日常のなかに潜む真理 00:10 趙州和尚の一喝:なぜ「茶碗を洗え」が究極の教えなのか 00:16 知識という名の重荷:理屈で真理を掴もうとする迷い 00:22 「聖」と「俗」の壁を取り払う:分別の心を打ち砕く実践 00:29 徳久先生のたとえ話:掃除や仕事、目の前の用事に宿る神 00:36 「実相の生活」の真髄:慌ただしさを超えた「没頭」の喜び 00:42 迷いを断つ「即座の実践」:ああだこうだ考える前に動く 00:48 現象の奥にある実在:今、この瞬間に完全燃焼する生き方 00:52 全ての行為を「祈り」に変える:感謝の心で茶碗を洗う功徳 00:55 まとめ:足元の宝物に気づく(あなたは今、そのままで完全である)
要約
本動画は、徳久克己先生が『無門関』第七則「趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)」を題材に、悟りと日常生活の関わりについて説いた講話です。
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悟りの脱神話化: 多くの人は悟りを「特別な能力」や「非日常な境地」と誤解していますが、趙州和尚は修行僧に対し「飯を食ったら茶碗を洗え」と説きました。真理とは特別な場所にあるのではなく、当たり前の日常を当たり前に行うことの中にこそあります。
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知識の壁を打破する: 「悟りとは何か」という知識を溜め込むほど、人は頭でっかちになり、生きた真理から遠ざかります。理屈(分別心)を捨て、直ちに「茶碗を洗う」という行動に移ること。この即座の実践が迷いの雲を晴らします。
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「今ここ」の実相を生きる: 過去や未来に心を散らすのではなく、今目の前の仕事や家事に没頭すること。その「没頭」こそが生長の家で説く「実相の生活」であり、平凡な日常を光り輝く祈りの場へと変えていく唯一の道であることを説いています。
第8則_1 「肉体は人間ではない」楽器と音楽のたとえで解き明かす生命の本質
1. チャプター
00:00 第8則「頸中造車(けいちゅうぞうしゃ)」の導入 04:23 「一切を捨てて一切を得る」真理の険しさ 06:56 薬を捨てることと「病気はない」という信念 09:20 悟りの車に乗る:自由自在と放縦(勝手)の違い 13:16 「〜ねばならぬ」が引き起こす「心の呪縛」 18:58 規則を外す前の「訓練」と心の準備 21:58 「我(が)の所有」を捨て、自他一体の愛へ 27:51 健康法や栄養学のジレンマと「信じる力」 36:40 病気にとらわれる心理と精神的自縛 44:50 執着を捨てて「無所住(むしょじゅう)」に生きる 55:00 音楽と楽器、人間と肉体の真実(たとえ話) 58:30 まとめ:肉体は人間そのものではなく、どう鳴らすか
2. 要約
本動画では、禅の公案『無門関』第8則を題材に、生長の家の根本心理である「人間・神の子」「肉体なし」の教えが説かれています。車をバラバラに分解しても「車」という実体がないように、人間も肉体という部品の集合体ではなく、その奥にある「生命(理念)」こそが本質であると説きます。 また、特定の健康法や「〜ねばならぬ」という形式に固執することが、かえって人間を不自由にし、病気や悩みを引き起こす原因になると指摘。自らの執着(我の所有)を捨て、神の生命という「悟りの車」に乗ることで、どんな状況でも自由自在に生きられる境地について、徳久先生が慈愛に満ちた言葉で解説しています。
無門関解釈 第8則_2 【無門関】「~ねばならぬ」を脱ぎ捨てて、自由自在な「真理の車」に乗る方法
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 唯物的な国家観・人間観を超えて 00:44 日本の理念と「天皇の実相」 01:50 人間は肉体ではない:整理解剖ではわからない生命 03:30 国家の本質と「愛国心」の真意 05:12 音楽は楽器にあらず、人間は肉体に灯る 07:05 京急の車(無門関第8則)の悟り:3つの要点 09:50 第9則「大通知勝」:修行と成仏の矛盾 12:45 時間の無限性と「成仏」できない理由 16:25 「もし~だったら」という家庭の愚問を排す 19:15 切羽詰まった「生きた問い」が力を生む 22:10 心のフィルター(我)が世界を規定する 25:40 ブラジルでの布教体験と「実相」の解説 32:20 中心に帰一する平和の原理(ダイワの精神) 42:30 家庭における「中心」の重要性と子供の教育 52:30 実相は常に新しく、喜びの中に現れる 56:45 結論:人間は神の子、無限の解決力を持つ
2. 動画の要約
本動画では、徳久克己先生が禅の公案『無門関』を題材に、生長の家の教えである「人間・実相」の真理を明快に説かれています。「車をバラバラにしても車という実体がない」という比喩から、人間を肉体という物質の集合体として見る現代医学や唯物論の誤りを指摘。肉体は生命(音楽)を奏でるための「楽器」にすぎないと強調します。また、国家や家庭における「中心(帰一)」の重要性や、過去や家庭(仮定)の概念に縛られず、今ここにある「神の子」としての無限の喜びを生きる智慧を伝授する、深い洞察に満ちた講話です。
第10則 【実録】不幸や災難が寄り付かなくなる「唯一の法則」とは?
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:ごまかしのない信仰と経営の決断 03:02 基礎の大切さ:砂上の楼閣にならない人生の土台 04:26 本来無一物:執着を捨てたふりをする「自我」の正体 07:23 与えて栄える:損得を超えた「不合理の合理」 11:00 不幸や災難を避ける唯一の法則:類は友を呼ぶ、類でないものは反発する 20:41 慢心の打破:自分は正しいという「我」を捨てる 25:50 素直さの極意:相手の心に寄り添う「幕の張り方」 31:05 基礎の積み重ね:世界的な歌手に学ぶ本質への道 42:51 第11則:上州和尚の問答から学ぶ「活殺自在」の心境 58:38 鏡の法則:相手の反応から己の心境を読み解く
2. 要約
本講話では、禅の公案『無門関』の第10則・第11則を題材に、人生と経営における「根本の基礎」がいかに重要であるかが説かれています。「自分は何も持っていない(無一物)」と言いながら、実は「自分は正しい」という我執を背負っている人間の滑稽さを鋭く指摘。不幸や災難を避けるための「類でないものは反発する」という心の法則や、相手の意を汲み取る「素直さ」こそが、無限の可能性を引き出す鍵であることを、具体的な経営者の体験談を交えて慈愛深く語られています。
テキスト:無門關解釋
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