第11回
a.奇跡を呼ぶ「心の法則」|重力を超える霊界の守護を受けるには
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:イエスが湖の上を歩く場面(ヨハネ伝第6章)
01:35 奇跡は現代科学で説明できるか:仏教や役行者の事例
02:30 霊界の力が三次元の物理法則を支える仕組み
03:50 守護霊の加護:九死に一生を得る人々の背景
05:15 宗教とは「高級霊」と「人間」の共同作業である
06:35 役員や奉仕を続けることで強まる霊的守護
08:05 感謝と布施の心が神様とのアンテナを太くする
10:00 柳の枝に登った修行者の話:重力の法則を超越する念力
11:20 万有引力の正体とは:宇宙意識の念の力
12:40 奇跡と信仰心は別物:一人を救うことの尊さ
14:00 神想観における雑念の扱い方:生きてる証拠として受け入れる
15:55 徹底した「否定」と「肯定」:病気や不幸は本来ない
19:00 実相の世界を観る:肉体を超えた神の子の自覚
21:30 心の影を消し去る:病気を直そうとする心を捨てる
23:15 霊界の存在を認めることで広がる新しい世界
25:00 谷口雅春先生の謙虚さ:神に書かされた言葉を読む姿勢
28:30 身代わりとなった聖典:交通事故から救われた体験談
29:40 言葉の慎み:口が一つで耳が二つある理由
33:10 人に好かれるコツ:スポンジのように人の話を聞く
37:30 神徳の現れ:水害から守られた京都の料亭と伊勢神宮の奇跡
42:30 先祖の加護を自覚し、感謝の中で生きる
2. 要約
本講話では、イエスが湖の上を歩いた奇跡を入り口に、私たちの住む三次元世界が、より高次元な「霊的エネルギー」や「念の法則」によって支えられていることが解説されます。物理的な重力の法則さえも宇宙意識の念の中にあり、強い信仰心や正しい宗教的使命を持つ者は、目に見えない守護霊や高級霊の加護を受けると説かれます。また、神想観で雑念に悩む修行者へのアドバイスや、病気・不幸を「本来ないもの」として徹底的に否定し、神の子としての完全さを肯定する「生長の家」の核心的な教えについても、日常で実践しやすい形で語られています。
b.一瞬で目的地へ到達する生き方|ヨハネ伝に学ぶ、時間と空間を超える法則
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:カペナウムへ向かう舟の中での出来事
01:45 嵐の海:人生の試練を象徴する逆風
03:20 イエスの出現:暗闇の中に現れる光
05:10 「わたしである、恐れるな」という言葉の真意
07:35 直ちに目的地に着いた奇跡:空間と時間の超越
10:10 翌日、イエスを探し回る群衆の姿
12:30 パンを食べて満腹になったから追いかける人々
14:55 朽ちる食物と、永遠に朽ちない食物の違い
17:20 神の業とは何か:神が遣わした者を信じること
20:00 出自や学歴に囚われるパリサイ人の盲目
22:45 自分の意思ではなく、神の意思を行う無我の境地
25:30 十二弟子の選出と裏切り者の予言:神の計画の一部
28:15 結論:目に見える利益を超えた、魂の救いへ
2. 要約
本講話では、嵐の海で恐怖に震える弟子たちの前にイエスが現れ、「わたしである、恐れるな」と告げて舟に迎え入れた瞬間、直ちに目的地に到達したという不思議な場面が解説されます。徳久先生は、私たちが人生の逆風に直面したとき、外側の現象を恐れるのではなく、内なる「神の命(実相)」を自覚することの重要性を強調。パンを食べて満腹になるような一時的な満足(朽ちる食物)を追い求める心を離れ、永遠の命を与える真理の言葉を信じることこそが、真の「神の業」であると説かれます。
第12回
a.「生かすのは霊である」肉体の限界を超えて永遠の命に触れる智慧
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:カペナウムの会堂での教え
01:50 命のパンについての論争:父が与える真のパン
04:10 私は天から下ってきたパンであるという宣言
06:30 つぶやくユダヤ人たち:ヨセフの子ではないかという不信仰
08:50 神に教えられた者だけがキリストのもとに来る
11:20 マナを食べた先祖と、死なないパンの違い
14:05 わたしの肉を食べ、血を飲むことの霊的意義
17:15 信じる者は永遠の命を今持っている
20:00 互いに論じ合う人々:どうして肉を与えられるのか
23:10 生命の根源と一体化する「食べる」という行為
26:15 去っていく弟子たち:この言葉は聞きにくい
29:30 霊こそが生かすものであり、肉は無益である
32:45 結論:目に見える形に囚われず、内なる命を信じる
2. 要約
本講話では、イエスが自らを「天から下ってきた命のパン」と称し、その肉を食べ、血を飲む者だけが永遠の命を得ると説く、ヨハネ伝の中でも最も難解とされる場面が語られます。徳久先生は、当時の人々がイエスの出自(大工の息子)という「肉体的な条件」に囚われて真理を見失った姿を指摘。神の教えとは、知識で理解するものではなく、イエスという存在が体現した「神の命」をそのまま自分自身に取り入れ、一体化することであると解説されます。
b.「肉は無益である」——谷口雅春先生が命懸けで守り抜いた「真理」の王道
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:倶胝和尚の一指禅と生命の實相
01:45 禅問答に学ぶ:指を切り落とされた小僧の悟り
03:20 言葉の奥にある「命」を伝える指導の要諦
05:10 仏とは何か:乾屎蕨(かんしけつ)という極端な比喩の真意
07:35 指導の難しさ:9時間に及ぶ個人指導の反省
10:10 自立を促す:気合で治すのではなく、自らの命を立ち上げる
12:30 歴代の先達に学ぶ:きつい指導の中にある深い愛
14:55 ヨハネ伝解説:わが肉を食らい、わが血を飲むことの霊的意義
17:20 現象を否定し、実相(神の命)を現す方法
20:00 現象とは心の影:心が変われば世界は一変する
22:45 人間神の子・物質なし:生死を超えた真理の自覚
25:30 離れ去る弟子たち:ご利益信仰と真理の探究の分かれ道
28:15 運動の厳しさと本質:人気に媚びず、真理を曲げない姿勢
32:45 谷口雅春先生の信念:日教組批判や生命尊重(堕胎反対)の断行
36:40 言葉の力:戦時中の「海ゆかば」と「必勝生還」の教え
39:50 結論:時代に流されず、真理の王道を歩む誇り
2. 要約
本講話では、禅の「倶胝一指(ぐていいっし)」の公案を引き合いに、形(指)に囚われるのではなく、その奥にある「生命の實相(本体)」を掴むことの重要性が説かれます。イエスの「私の肉を食べよ」という過激な表現も、肉体的な意味ではなく、神の智慧と命を自分自身と一体化させることの象徴です。徳久先生は、病気治しやご利益といった目に見える現象に一喜一憂する段階を超え、時には世間から嫌われるような厳しい真理であっても、それを曲げずに貫くことこそが真の信仰であり、魂の救済に繋がると力説されています。
第13回
a.現象は心の影:自分を縛る状況を根底から変える「実相」の拝み方
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:ヨハネ伝講義 第13回 読経と解説の開始
01:50 悟りの本質:神の子を知る者は神の子だけである
03:55 現象の奥にある実相を拝む:不良少年や夫の神性
05:45 自力修行の限界:肉体を鍛えても神には至れない
06:50 近く(悟り)の瞬間:積み重ねではない「スポット」の自覚
08:55 人を教えることで自分も教えられる:錬成道場での体験
10:45 肉の目で見ることの危うさ:イエスの復活と霊的自覚
12:15 現世利益と真理のギャップ:多くの弟子が去る理由
14:05 仏教における「無常」から「常楽」への導き
16:05 本物を語ると人が去る?:法華経や谷口雅春先生の教え
18:10 3段階の救い:科学的理解・心の法則・永遠の生命
20:40 現象に支配される心:子供は親の心の影である
22:40 肉に益なし:生かすのは例(実相)であり言葉の息吹である
25:10 わからないことがわかる大切さ:絶えざる求道心
27:10 実業家の教育:ムモンカンの講義と「ウルトラ会」の逸話
30:50 生命の世界は無限:一足す一が百にも千にもなる
32:45 12人の弟子の迷い:ペテロの告白とイエスの寂しさ
34:50 悪魔とは何か:申請をくらます迷いの心の象徴
36:30 兄弟たちの不信仰とイエスの孤独
38:10 自分の後を継ぐ者を育てる重要性
40:00 仮庵の祭りとエルサレムへの密かな上京
2. 要約
本講話では、イエスの厳しい言葉をきっかけに多くの弟子が去っていく場面を通じ、信仰の本質がどこにあるのかが説かれます。徳久先生は、病気治しや金儲けといった「現世利益」を入り口としながらも、最終的には肉体を超えた「永遠の生命(実相)」を自覚する重要性を力説されます。現象は心の影に過ぎず、影に一喜一憂するのではなく、影を支配する「心」と、その奥にある「神の命」に目覚めること。世間の評価や理屈を超えた「生命の無限性」を掴み、自分の後を継ぐ魂を育てていくことの尊さが語られています。
b.自分の知恵を捨て、神の智慧と繋がる方法
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:仮庵の祭りのさなか、エルサレムへ
01:45 ユダヤ人たちの噂:イエスはどこにいるのか?
03:20 良い人か、惑わす者か:世間の評価の二面性
05:10 祭りの半ば、イエスが宮で教え始める
07:35 学問をしていないのに、なぜこれほどの智慧があるのか
10:15 私の教えは自分のものではなく、遣わされた方のもの
13:00 神の御心を求める者だけが、真理を真理と見分ける
15:40 自分の栄光を求める者の「虚偽」と神の栄光を求める「真実」
18:25 モーセの律法と安息日の論争:割礼の矛盾を突く
21:40 外見で判断せず、正しい裁きをしなさい
24:30 正しい「裁き」とは、現象の奥の実相を観ること
27:10 自分の智慧に頼る傲慢さを捨て、神のパイプになる
30:50 結論:神の生命が自分を通して語り、動く自覚
2. 要約
本講話では、イエスが学歴や地位のない「大工の息子」でありながら、驚くべき智慧で人々を圧倒する場面が解説されます。徳久先生は、「私の教えは自分のものではない」というイエスの言葉を引用し、私たちが自分の小さな知恵や栄光を誇るのをやめ、神の智慧が流れる「パイプ」に徹することの重要性を説かれます。また、「外見で判断せず、正しく裁け」という言葉を通じ、現象としての不完全さに囚われるのではなく、その奥にある神の完璧な生命(実相)を観ることこそが、真の信仰者の眼差しであると力説されています。
第14回
a.なぜ、当局者はイエスを捕らえられなかったのか?|霊的な「時」と神の守護
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:ヨハネ伝講義 第14回 読経と解説の開始
02:15 殺そうと狙われている男が公然と語る不思議
03:50 当局者は彼をキリストだと認めたのか?群衆の疑念
05:30 メシアの出自:どこから来るか知っているという慢心
07:45 イエスの叫び:私を遣わした方は真実である
10:10 自分自身の知恵で神を知ることはできない
12:40 手をかけようとするが、まだ「時」が来ていなかった
14:55 多くの群衆が信じる:これ以上の印を行うだろうか
17:30 役人を送る祭司長たち:目に見える権力と真理の対立
20:15 あと少しの間、私はあなた方と一緒にいる
23:00 私が行く所に、あなた方は来ることができない
25:40 離散したギリシャ人の所へ行くのか?ユダヤ人の誤解
28:15 霊的な言葉を肉的な次元で解釈する悲劇
31:00 結論:目に見える背景に囚われず、神の遣いを受け入れる
2. 要約
本講話では、イエスが殺害の脅威にさらされながらも、宮の真ん中で堂々と真理を説く場面が描かれます。「どこから来たか知っている」という自負ゆえにイエスをメシアと認めない群衆に対し、徳久先生は、人間の小さな知識や先入観がどれほど真理を曇らせるかを指摘されます。また、イエスが語る「私が行く所」という霊的な次元の言葉を、物理的な移動としか捉えられない人々の無知を通じ、私たちが肉体という枠を超えて「神の命(実相)」の世界を理解することの重要性が説かれています。
b.内側から喜びが溢れ出す生き方|魂の渇きを癒やす「生ける水」の正体
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:仮庵の祭り、終わりの日の宣言
02:15 渇いている者は、わたしの所に来て飲むがよい
04:10 聖書に書いてある通り、生ける水が川となって流れ出る
06:30 聖霊についての言及:イエスが栄光を受ける前
08:45 群衆の反応:この人こそ、あの預言者である
10:50 キリストはガリラヤから出るだろうか?聖書の知識による迷い
13:15 ダビデの末裔、ベツレヘムという条件への固執
15:40 群衆の間の分裂:捕らえようとする者と信じる者
18:20 下役たちの驚き:これまでに、この人のように語った者はいない
21:00 パリサイ人の傲慢:律法を知らない群衆は呪われている
23:45 ニコデモの弁護:まず本人の言い分を聞くのが律法ではないか
26:30 ガリラヤから預言者は出ないという偏見の壁
29:00 結論:理屈を超えた生命の躍動、聖霊の働き
2. 要約
本講話では、祭りのクライマックスにイエスが放った「生ける水の川」の宣言を中心に、真理を「知識」で捉える者と「命」で感じる者の対比が描かれます。徳久先生は、学歴や家柄、聖書の文言といった外側の条件(ガリラヤ出身かどうか等)に囚われて本質を見失う人々の愚かさを指摘。イエスの言葉に打たれた下役たちが「これほどまでに語った者はいない」と漏らしたように、理屈を超えて魂を震わせる「聖霊の響き」こそが、私たちの内なる渇きを癒やす真の救いであると説かれています。
第15回
a.病や不幸の根源は「罪の意識」にある|ヨハネ伝第8章に学ぶ心の解放
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:オリーブ山から再び宮へ
02:10 姦淫の場で捕らえられた女:律法学者たちの罠
04:30 モーセの律法とイエスのジレンマ
06:50 身をかがめて地面に指で書くイエス
09:15 あなたがたの中で罪のない者が、まず石を投げなさい
12:00 一人去り、二人去り:自らの内面を照らされる群衆
15:10 女と二人きりになったイエス:裁きの否定
18:30 罪の意識が病や不幸を作る:心の法則の解説
21:20 私もあなたを罰しない:実相を観る深い慈悲
24:45 二度と罪を犯してはならない:新しい命への再生
27:10 自己処罰の念を解放し、神の子として立ち上がる
30:50 結論:裁きを捨て、許しの中に生きる
2. 要約
本講話では、罪を犯した女性を石打ちにしようとする人々に対し、イエスが放った「罪のない者がまず石を投げよ」という言葉の真意が説かれます。徳久先生は、他人の過ちを裁く心は、巡り巡って自分自身の罪悪感となり、それが病気や不運を引き寄せる原因になると指摘。イエスが女性を裁かなかったのは、彼女の過去の過ちを肯定したからではなく、その奥にある「決して汚れることのない神の子の本質(実相)」を観ていたからであり、私たちも自己処罰の念を捨て、許しの中で生きることこそが真の救いであると力説されています。
b.人生の暗闇を消し去る「光の自覚」|私はどこから来て、どこへ行くのか?
1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 導入:私は世の光であるという宣言
02:15 パリサイ人の反論:あなたの証言は真実ではない
04:10 自分の出所と行く先を知っている者の強み
06:30 あなた方は肉に従って裁き、私は誰をも裁かない
08:45 二人の証人が真実であるという律法の解釈
10:50 私を遣わした父(神)こそが、もう一人の証人である
13:15 あなた方の父はどこにいるのか:霊的な無知への指摘
15:40 宝蔵所での説教:誰も手をかけられなかった理由
18:20 自分がどこから来たかを知る=実相の自覚
21:00 運命を支配する「出所」の意識:神の子としての誇り
23:45 暗闇を歩まないために:光と一体化する生き方
27:10 結論:父なる神との一致、孤独ではない歩み
2. 要約
本講話では、イエスが放った「私は世の光である」という言葉の真意が解き明かされます。徳久先生は、イエスがパリサイ人からの「自画自賛」という批判を退け、神(父)との一体感を根拠に堂々と証言された姿を強調。私たちが迷いや苦しみの中にいるのは、自分の「出所(神の子であること)」と「行く先(実相の世界)」を忘れているからであり、イエスという光に従い、自分もまた神から遣わされた光であると自覚したとき、人生から一切の暗闇が消え去ることが説かれています。
連続して聴く
テキスト:ヨハネ伝講義-谷口雅春著
