生長の家の講話 妙楽天国

徳久克己 無門関解釈 第21則~第42則

徳久克己 無門関解釈の一覧

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徳久克己 無門関解釈 第11則~第20則
生長の家 徳久克己先生の無門関解釈です 第11則~第20則

 

 

無門関解釈 第21則 理想を追うより、目の前の人を拝む。

理想を追うより、目の前の人を拝む。 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第21則

今回の講話は、禅の公案の中でも特に衝撃的な「乾屎橛(かんしけつ=クソ書き)」という言葉を通し、真理がいかに私たちの泥臭い現実の中に現れているかを説く内容です。


1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 講話開始:第21則「本門乾屎橛」の導入
00:15 仏とは何か?という問いへの衝撃的な答え
01:05 師匠・本門和尚と弟子・洞山和尚のつながり
01:30 「乾屎橛(クソ書き)」の言葉の意味と背景
01:45 抽象的な「仏」と現実の「救い」のギャップ
02:25 有限にして無限:具体的に現れる神仏の姿
03:15 人類愛を語る前に「親や妻」を愛せているか
04:35 仏像崇拝の真意:普遍を具体として礼拝する心
05:55 黄金の仏像だけが仏ではない

2. 要約

本動画では、徳久克己先生が『無門関』第21則「本門乾屎橛(ほんもんかんしけつ)」を題材に、真の仏性とは何かを解説されています。「仏とは何か」という問いに対し、禅師が「乾屎橛(使い古しのクソ取り棒)」と答えた真意を紐解きます。 先生は、私たちは往々にして仏を「黄金の姿」や「全知全能の理想」といった抽象的な美辞麗句で捉えがちであるが、真理はむしろ、最も卑近で具体的な「今、ここにある現実」の中にこそ宿っていると説かれます。大きな「人類愛」を語りながら身近な親や妻をないがしろにする矛盾を指摘し、有限な具体的な存在(人間)の中に、無限の仏性を拝むことの重要性を温かな語り口で伝えています。

無門関解釈 第22則 人間関係も病気も「素直な心」が解決する。

人間関係も病気も「素直な心」が解決する。 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第22則

この回では、お釈迦様の弟子の中で最も多くの説法を聞いたとされる「阿難(あなん)」が、なぜ「はい」という一言で真理を悟ったのかという、信仰の核心に触れるお話が展開されています。


1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 講話開始:第22則「阿難倒折(あなんとうしゃく)」の導入
00:45 多聞第一の阿難と、お釈迦様から法を継いだ迦葉
02:00 なぜ知識豊富な阿難が法を伝えられなかったのか
04:15 知識や学問と「悟り(人徳)」の決定的な違い
05:30 衝撃の瞬間:迦葉の呼びかけに阿難が「はい」と答えた時
06:30 第6則「世尊拈花」の振り返り:微笑みが伝えた真理
10:00 宗教の極意は「はい」にある:素直な心の力
13:30 夫婦・人間関係を調和させる「はい」の実践
16:40 般若心経と「一切皆空」:虚無に陥らないための解釈
21:30 「無」は真理に至るための「関門(ゲート)」である
26:15 既成概念を捨てることの重要性:新しい世界への転換
35:00 医者としての葛藤と「病気はない」という悟り
40:30 心を消去して新しい智慧を書く:無の効用

2. 要約

本動画は、多聞第一(記憶力抜群)と言われた阿難尊者が、迦葉(かしょう)尊者から法を継承する劇的な場面の解説です。 お釈迦様の説法をすべて暗記していた阿難でしたが、頭の知識だけでは「悟り」を継ぐことができませんでした。しかし、迦葉から「阿難!」と呼びかけられた瞬間、理屈を捨てて全身全霊で「はい」と答えたとき、阿難は真の仏法をその身に体現しました。 徳久先生は、この「はい」という素直な心こそが、争いを調和に変え、病や苦しみの原因となる「既成概念(古い思い込み)」を消し去る鍵であると説かれます。単に「何もない(空)」という虚無に留まるのではなく、無という関所を通り越して、実相(神の創られた完全な世界)へ至ることの重要性を、医学的な実体験やユーモアを交えて語られています。

無門関解釈 第22則b 地獄と極楽の境界線は「心」にあり。執着を消し去る「無」の本当の意味

地獄と極楽の境界線は「心」にあり。執着を消し去る「無」の本当の意味 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第22-b則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 冒頭:病の宣告と既成概念の転換
01:26 過去の症状や失敗を消す「無」の解釈
02:49 般若心経と「五感の世界」の否定
04:42 彼岸とは今ここにある実相の世界
07:18 往生とは死ぬことではなく五感から離れること
09:24 既成概念を捨てて実相を把握する
10:32 我(エゴ)をなくした時に現れる中心帰一
12:51 阿難の「はい」という返事と仏法の完了
15:51 日本的な「無我」と「神ながら」の精神
17:42 宮本武蔵『五輪書』に学ぶ「構え」なき自由自在
21:32 「私」がないところに天国が現れる
25:22 地獄と極楽のたとえ話:利他の心
28:44 仏法とは素直な「はい」の中にある
34:15 谷口雅春先生の指導と無我の決意
39:40 次則「不思善悪」の導入と六祖慧能のエピソード
2. 要約

本動画では、徳久克己先生が『無門関』第22則を通じ、人間が真の悟りや幸福に至るための「心のあり方」を解説しています。 お釈迦様の説法をすべて記憶していた阿難(あなん)が、なぜ迦葉(かしょう)から「はい」の一言で法を継承できたのか。それは知識を誇る「我(が)」を捨て、素直な心になった瞬間に「実相(真実の世界)」が現れるからです。 先生は、宮本武蔵の剣術における「構え」の否定や、日本古来の「神ながら」の精神、そして有名な「地獄と極楽の長い箸(スプーン)」のたとえを引き合いに出し、私たちが「私がいった」というエゴを捨て、相手を生かす「はい」の心で生きる時、今ここが直ちに天国(彼岸)になるという真理を優しく説き明かします。

 

無門関解釈 第25則 健康と体力は別物!老いや病の不安を消し去る「実相」の視点

健康と体力は別物!老いや病の不安を消し去る「実相」の視点 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第25則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 幸せになるための心の習慣と過去の捉え方
00:28 100歳以上の長寿者に学ぶ「健康」と「精神状態」
01:41 「体力」と「健康」を混同してはいけない
04:00 加齢に伴う生理的能力の変化と健康の正体
05:21 現象に惑わされない「実相学」の視点
06:06 第25則の核心:五感では実相を捉えられない
08:01 無門関 第25則「三座説法」の解説
11:45 神仏衆生三無差別と「仏を殺す」の真意
14:53 心の状態に左右されない「本当の仏」
17:35 心の法則を超えた「信仰」と「実相への波長」
22:45 恐怖心を捨て、神の子としての信念を持つ
28:19 既存の仏教と生長の家の「現象」に対する考え方の違い
32:41 実相閣を開き、今ここで既に成仏している自覚を持つ
36:00 「〜したい」という意志より「〜である」という観念の力
40:48 久遠の昔から私たちは素晴らしい仏である

2. 要約

本動画では、徳久克己先生が『無門関』第25則を通じ、私たちが陥りがちな「現象(目に見える世界)」への囚われを打破し、真の健康と幸福を掴むための「実相」の捉え方を説いています。 前半では、医者の見解を交えながら「体力(筋肉や腕力)」と「健康(生理的能力の調和)」は別物であることを強調し、加齢や衰えを嘆くのではなく、その時々の最善の状態で生きる智慧を語ります。 後半では、心の浮き沈みによって「仏」になったり「凡夫」になったりする不安定な信仰を戒めます。心や言葉、五感を超えた「実相」の世界では、人間は修行して仏になるのではなく「既に成仏している存在」であることを自覚し、その完全円満な実相に心の波長を合わせ続けることこそが、人生を好転させる唯一の道であると力説しています。

無門関解釈 第26則 「してあげた」が人間関係を壊す?損得勘定を消して運を呼ぶ「無我」の法則

「してあげた」が人間関係を壊す?損得勘定を消して運を呼ぶ「無我」の法則 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第26則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 言葉や心の囚われを超えて実相を観る
00:43 第26則「二僧巻簾」の公案解説
01:51 同じ「すだれを巻く」行為でなぜ評価が分かれたのか
03:36 形は同じでも「心境」が違えば結果は変わる
04:17 「してあげた」という恩着せがましさが天国を砕く
05:37 「してあげる」から「させていただく」への転換
07:41 商売や部下との関係における「させていただく」の効能
08:16 仏法の真髄は「はい」という素直な無我の心
09:59 徳久先生の失敗談:谷口雅春先生に叱られた録音機の話
12:35 注意や叱責は自分の慢心を映し出す鏡である
14:39 60歳を過ぎても叱ってくれる人がいる幸せ
15:25 親の小言や忠告が持つ本当のありがたさ

2. 要約

本動画では、徳久克己先生が『無門関』第26則を通じ、「形」ではなく「心境」がいかに現実を左右するかを説いています。 公案「二僧巻簾(にそうけんれん)」では、二人の修行僧が全く同じように「すだれを巻く」という行為をしたにもかかわらず、師匠から一人は「良い」、もう一人は「悪い」と真逆の評価を受けます。その違いは、心の中に「俺がやってあげた」という自己顕示(気負い)があるか、あるいは「無我」で純粋に行為に没入しているか、という点にありました。 徳久先生は、自身の若き日の失敗談――谷口雅春先生に良かれと思って録音機を献上した際に厳しく叱られた経験――を引き合いに出し、「してあげる」という恩着せがましい心が人間関係を壊し、逆に「させていただく」という感謝の心が調和を生むことを、ユーモアを交えて分かりやすく語っています。

無門関解釈 第36則 人生の行き止まりを突破する智慧

人生の行き止まりを突破する智慧 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第36則

 

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 第36則「路逢達道人」の公案
01:11 喋っても黙ってもいけない「五目」の難問
02:11 制約だらけの現実で「自由自在」に生きる目的
03:30 無限の可能性と「大自在」の境地
05:13 病気や失敗を「過去の業が消える姿」と喜ぶ心
07:01 自分の決めた「型」に縛られない生き方
08:31 夫婦の意見が違うのは当たり前
09:28 縛られていても自由自在であること
11:18 肉体にこだわらない「人間・実相」の仕事
13:28 芸術家がキャンバスという制約に無限を表現するように
15:20 生活の中の葛藤こそが真の公案
18:03 自己限定を捨てて「活眼」を開く
21:13 迷いとは「思いが全相に及ばない」こと
24:55 暗い面ばかり見ずプラスの面にまなこをつける
27:50 執着を捨てて神様に引かれる人生
30:12 日比野先生と老婆の問答:治っている左手に感謝する
38:34 自ら縄なきに縛られる「無縄自縛」を解く
40:24 当たり前のことに感謝するのが宗教の生活
42:12 大工の逸話:まず公益を考えれば神様から給料が出る
47:40 観の転換:目玉を外して実相を見る
52:02 部分の欠点に囚われず全体を認めるコツ
56:18 五感のレンジ窓を超えて飛躍する

2. 要約

本動画では、徳久克己先生が禅の公案『路逢達道人(みちにたつどうじんにあわば)』を題材に、不自由な現実の中でいかに自由自在に生きるかを説いています。「喋っても黙ってもいけない」という絶体絶命の問いに対し、人間は自ら「自己限定」という縄で自分を縛っているに過ぎないと喝破。病気や不景気といった制約を「現象」として認めつつ、その奥にある「完全円満な実相」にまなこを向ける「観の転換」の重要性を、具体的な体験談を交えて温かく語られています。

無門関解釈 第38則 マッカーサーを驚かせた天皇の御心と、運命を変える「親孝行」の真意

マッカーサーを驚かせた天皇の御心と、運命を変える「親孝行」の真意 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第38則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 唯物論的な人間観を超えて「恩」を感じる心
02:04 マッカーサーを感動させた昭和天皇の無私なる御心
06:01 徳を積むことで結ばれる「因縁」と血統の尊さ
08:35 秩序ある平等こそが社会を成立させる
11:32 父母の恩を「物質の結合」と見なす過ち
14:42 立派な人間になることこそが最高の親孝行
18:12 条件付きの感謝から「理屈なき感謝」への転換
21:28 子供は親を喜ばせたいと願う「愛」の存在
23:45 肉体を「魂の道具」として授かった喜び
27:32 人間は肉体にあらず、楽器を鳴らす音楽のごときもの
31:16 病を忘れたときに現れる「本来の生命」
33:50 部分ではなく全体を診る「百尺竿頭進一歩」の医学
38:40 常識を破る飛躍が新しい進歩を生み出す
41:00 感謝の心で難病を克服した医師の実体験
45:55 固定観念を捨て、新しい自分を発見する道
54:14 因縁を超えた宗教的救いの「飛躍」
59:40 全世界に真理を広めるという弟子の熱願
2. 要約

本講話では、人間を単なる物質の集合と見る「唯物論」の限界を説き、目に見える現象の奥にある「実相(本来の生命)」を観ることの重要性が語られています。 マッカーサー元帥と昭和天皇の歴史的な会見を例に、自分を捨てて他者を救おうとする無私の精神が、いかに冷徹な現実を動かす力を持つかが強調されます。 また、親子関係においても、育ててくれたから感謝するという「条件付きの愛」を超え、自分の命の源として理屈抜きに敬う心こそが、運命を劇的に好転させる鍵であると説かれます。 常識や固定観念という「百尺竿頭」にとどまらず、そこから一歩踏み出す「飛躍」こそが、真の健康と幸福をもたらす智慧であるという、力強いメッセージが込められた内容です。

無門関解釈 第39則 借り物の人生を卒業し「真実の命」を響かせる方法

借り物の人生を卒業し「真実の命」を響かせる方法 生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第39則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 雲門和尚とある僧の対話:第39則「雲門花堕」の概説
01:21 「話が古い」と一喝された真意とは
02:55 知識としての古典が「生命」にならない落とし穴
04:16 なぜ自分の「今ここにある命」を問わないのか
05:25 借り物の言葉は「死んだ文字」にすぎない
06:55 形だけの模倣では成功できない理由
08:05 どこへ行っても通用する「自分自身の輝き」を磨く
2. 要約

本講話では、禅の公案を通して「借り物の知識」ではなく「自らの命の真実」を生きることの重要性が説かれています。 ある僧が立派な経典の言葉を口にした際、雲門和尚は「その話はもう古い(死んでいる)」と一喝しました。 それは、どんなに尊い真理の言葉であっても、それが話し手自身の命から溢れ出たものでなければ、単なる情報の模倣にすぎないからです。 徳久先生は、他人の成功事例や形だけを真似てもうまくいかない現実を例に挙げ、私たちが向き合うべきは外側の知識ではなく、今ここで躍動している自分自身の生命そのものであると語ります。 「真理に新しいも古いもない」からこそ、それを自分の血肉とし、独自の調べとして奏でることの大切さを教えてくれる内容です。

無門関解釈 第39,40則 人生を劇的に変える「観の転換」とは?

生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第39,40則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 冒頭・どこへ行っても通用する人間になるために
02:30 「雪は白い」という固定観念を捨てる
04:10 借り物の言葉ではなく自らの「実態」を把握する
06:15 現象の「甘い餌」に惑わされない心
09:10 知識を自分のものにする「自覚」の重要性
12:40 心の法則:相手を責める前に自らを正す
15:50 無門関 第40則「剔倒浄瓶」の解説
21:40 常便(水瓶)をひっくり返す「立場」の転換
25:50 体験談:性格が違うからこそ夫婦はうまくいく
31:10 創意工夫を生む「観」の転換
36:50 悟りとは「新しい我」の発見である
44:40 善悪や損得を超えた自由自在な生き方
56:30 アフリカでの布教と「人間神の子」の解放
2. 要約

本講話では、禅の公案「無門関」第39則および第40則を題材に、私たちが陥りがちな「固定観念」や「立場の固執」から解放される道が説かれています。 「雪は白い」という先入観で物事を見るのではなく、今この瞬間に自分の心に映る真実を捉えること。そして、慣れ親しんだ自分の「立場」を一度ひっくり返して(剔倒)見直すことで、行き詰まった人間関係や事業に劇的な好転をもたらす「観の転換」について、徳久先生自身の夫婦体験やブラジルでのエピソードを交えて温かく語られています。

 

無門関解釈 第41則 不眠や不安がスッと消える「逆転の思考法」

生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第41則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 抑えようとする心が反動を生む
01:40 規則で縛る前に必要な社員教育
02:26 子供を自由にさせることで自立を促す
05:15 初代の天才と2代目以降の組織作り
07:40 不眠症を克服する「あえて考える」逆転の発想
08:35 2時間・3時間周期の睡眠メカニズム
11:38 仕事への集中力を高める精神統一のコツ
12:35 真理の言葉を話すことが自分を癒やす
14:40 不安や悩みを極限まで見つめる指導法
16:45 本来ないはずの迷いを追い求めない
21:30 現象を否定し尽くして現れる実相
24:40 病気であっても本来は完全な神の子
27:40 「そのままで仏」という究極の肯定
2. 要約

本講話では、禅の公案『無門関』第41則を題材に、人間の心にある「抑えようとする働き」が逆説的に迷いや悩みを生み出している実態を説いています。徳久先生は、不眠症、社員教育、子育てといった身近な例を引き合いに出し、「縛るのではなく解放する」ことの重要性を強調します。 「迷う心を探しても見つからない」という悟りの本質は、現象としての病気や貧乏を否定し尽くした先に、初めから円満な「実相(本来の自分)」が厳然としてあることを自覚することにあります。何者かに成ろうとするのではなく、「そのままで仏である」という自己肯定こそが、真の自由への道であると明かされています。

無門関解釈 第42則 人間関係が劇的に良くなる縦の線と横の線の法則

生長の家 徳久克己 無門関解釈 -第42則

1. チャプター(タイムスタンプ)
00:00 無門関 第42則「女子出場」の解説開始
01:35 文殊菩薩でも女子を三昧から目覚めさせられなかった理由
02:30 毛網菩薩の登場と、指一本での目覚め
04:00 指導のコツ:心境の近い者こそが人を救える
06:15 文殊菩薩の出生と「神の子」の真意
08:30 七仏の師・文殊が仏座に近づけなかった「秩序」の意味
11:30 猫と国王の例え:知る者ほど礼節を重んじる
14:00 平等と差別の調和(秩序)の大切さ
16:40 段階的指導法:大学教授より幼稚園の先生が必要な時
18:15 マグダラのマリアの救いと、無知の強み
20:40 「馬鹿が助かる」信仰の素直さ
23:10 仮想の芝居と、楽屋(実装)での皆成仏
24:00 体験談:網走刑務所帰りの男を救った貫禄の差
26:30 自分の救われた体験こそが最高の説法になる
28:10 縦の線(秩序)と横の線(平等)の法則
29:40 罪の深い人ほど、許された時の感謝は深い
2. 要約

本講話では、知恵の象徴である文殊菩薩が悟りに入った女性を目覚めさせられず、新米の菩薩がそれを成し遂げたという『無門関』の一節を紐解きます。 徳久先生は、高い心境にある者が必ずしもすべての人を救えるわけではなく、相手と同じ目線や心境を持つ者こそが響く「段階的指導」の重要性を説かれています。 また、形式的な平等(悪平等)ではなく、礼節や役割を重んじる「秩序ある平等」こそが真の調和を生むと強調。 最後には、理屈や知識に頼る「知恵の壁」を捨て、救われた自身の体験を素直に語ることこそが、他者の心を動かす最大の力になると、温かな語り口で伝えています。

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