徳久克己先生 『甘露の法雨』解釈
061 魂を極限まで鍛え上げた「一生に一度の体験」
チャプター
00:00 絶体絶命の危機から救われた確信と信仰の強化
01:01 困難な問題が魂を鍛える(共産主義地域への潜入)
02:21 限界の状況で生まれた真剣な祈り(完全全託の境地)
04:08 中国共産軍の若き大将との対峙と対話
05:43 鉄砲は撃てない産婦人科医としての告白と親孝行の美徳
07:46 親を想う心は東洋共通(共産軍大将の涙と奇跡の保護証明書)
09:21 馬賊や国民政府の地帯を抜けた奇跡的な生還
10:04 机の上の教えではない実体験が信念の講師を作った
11:04 谷口雅春先生の言葉(一生に一度の尊い体験)と結び
要約
本動画は、生長の家の徳久克己先生による『甘露の法雨』解釈講義の完結編です。前回のソ連兵の危機に続き、終戦直後の満州における壮絶な「中国共産軍」との命がけの対話と、そこから生まれた信仰の奇跡が語られます。
徳久先生は単身で中共の地域に赴きますが、過酷な環境下で「日本への引き揚げ」が始まったことを知り、自分の力ではどうにもできない極限状態で「もし生きて日本でなすべき仕事があるなら帰してください。そうでなければすべてをお任せします」という神への「完全全託」の祈りに到達します。その後、共産軍の若き大将から「医者として軍に残れ」とピストルを前に勧誘されますが、先生はごまかさず真摯に「日本にいる親に孫の顔を見せ、親孝行の義務を果たしたい」と東洋の徳を訴えました。この真心が大将の心を揺さぶり、涙ながらに親を思い出した大将から、金銭と特別な「保護証明書」を授けられ、馬賊や国民政府の危険地帯をも無傷で潜り抜ける奇跡の生還を果たします。
帰国後、谷口雅春先生から「一生かかってもできない素晴らしい体験をしたね」と言葉をかけられた徳久先生は、これらの机の上ではない「命がけの実体験」こそが、自身の信念を強くし、生長の家の真理を確信する本物の講師を作ったと回顧。どんな困難な問題も魂を向上させるために現れたものであり、悪いように見えることの奥には必ず神の命の導きがあると、力強い感謝で講話を結んでいます。
062 「必要なものはすべて与えられる」
チャプター
00:00 新しい青年の紹介と久保木造氏の挨拶
05:07 必要の時に必要なものが与えられる神への信頼
08:00 伝道の抵抗は前進の機会
10:56 与える喜びと真理を伝える尊さ
12:02 『甘露の法雨』解説:神は絶対であり人間は本来完全である
要約
本講話は、高知県からロサンゼルスの生長の家本部に赴任したキリスト教(進学・牧師コース)出身の青年、久保木造氏の紹介から始まります。彼はパラグアイのジャングルでの2年間の過酷な宣教経験を持ち、衣食住にこだわらず伝道に命を捧げる覚悟を語ります。
徳久先生はこれを受け、「必要なものは必要な時に神から与えられる」という絶対的な信念の大切さを強調されます。お金や人がないから仕事ができないのではなく、なすべきことを決意して始めれば、必要な物資や人材は後から自ずとついてくるのが生長の家の精神です。
また、伝道活動において周囲から抵抗や批判を受けることは、今までにない新しい真理を伝えている証拠であり、自動車のタイヤが摩擦(抵抗)によって前進するのと同じく、飛躍のチャンスであると説かれます。ただ自分だけの幸福を求める「澱んだ信仰」ではなく、人を喜ばせ、最高の施しである「真理(法)」を伝えることこそが、人間に本当の喜びをもたらします。
後半では『甘露の法雨』のテキストを紐解き、影が黒いからといって人間そのものが黒い(罪がある)わけではないという「実相完全」の教えを解説されます。神と悪魔を対立させる相対的な信仰では本当の安心は得られません。神を唯一絶対の存在としてすべてを委ねきり、恐怖心を完全に手放したとき、私たちの心には真の救いと素晴らしい智慧が湧き出るのです。
063 【甘露の法雨】99.9%の信仰は0と同じ!人生が劇的に楽になる「100%神へ任せきる」絶対信頼の極意
チャプター
00:00 相対的な神と絶対的な神:100%委ねる信仰の平穏
03:32 『甘露の法雨』解説:完全円満な神の生命と実相
05:33 相手の病や悪を見ず、本来の完全さを観る祈りの真髄
06:20 耳の聞こえない初参加者の奇跡と「新鮮な信仰」の尊さ
10:50 言葉や技術を超えた「魂の振動」と感動を呼ぶ体験談
15:45 悪夢のたとえ:迷いや苦しみは「目を開けていない」だけの幻
要約
本講話では、不完全さや悪魔の存在を認める「相対的な神」を信じている限り、本当の安心は得られないと説かれます。信仰とは「オール・オア・ナッシング(100か0か)」であり、99.9%の信頼では不十分です。すべての荷物を神に預けてしまえば人生は非常に楽になり、絶対の幸福が約束されます。
徳久先生は『甘露の法雨』の言葉を用いて、神は無限の善であり、罪も病も本来は実在しない(実相完全)と明かされます。誰かのために祈る際、「この人の悪いところを直そう」「病気を治そう」とすることは、かえって不完全さを認めることになるため間違いです。「この人は最初から神の子であり、完全円満である」とじっと観きることが祈りの真髄です。実際に、耳がほとんど聞こえず、説明も理解できないまま初参加した方が、ただその場に座って祈りを捧げただけで耳が聞こえ出した奇跡的なエピソードが紹介されます。そして、何年信仰を続けても「昨日入信したばかり」のような新鮮な輝きを保ち続けることの尊さを強調されます。
後半では、伝道や体験談における「魅力」について語られます。口先だけの流暢な話よりも、足を引きずり震えながらも涙ながらに親への感謝を伝えた青年のように、言葉を超えた「魂の振動」こそが人の心を激しく揺さぶるのです。最後に先生は、人生の苦しみや迷いを「自分の胸に手を当ててうなされている悪夢」にたとえられます。悪魔に首を絞められていると感じていても、パッと目を開ければそこには何もありません。人を救うということは、何かを与えたり変えたりすることではなく、ただ「あなたは今、夢を見ているのだから目を開けなさい」と気づかせてあげること(覚醒)なのだと力強く締めくくられます。
064 悪業や不幸は幻!あなたの本質が「神の子」である理由
チャプター(タイムスタンプ)
00:00 悪魔や罪の錯覚と「実装(じっそう)」
00:44 仏教における「豪(ごう/カルマ)」の誤解と真実
01:33 念の集積としての「5(ごう)」と変革の可能性
02:52 先祖の思いの浄化と神を呼ぶ力
03:25 恨みを消す本質:キリスト教と仏教の視点
04:40 仏教における「無明(むみょう)」と光の不在
05:18 病気や不幸の正体:生命と幸せの未顕現
06:14 神道における「罪・汚れ(つつみ)」の語源と解釈
07:47 人間は本来「神の子」であり、磨けば光る存在
08:55 固定観念の打破と心(垢)を洗い落とす道場の役割
要約
本講義では、人間が「罪」や「悪い業(カルマ)」に囚われる理由を、仏教・神道・キリスト教の視点を交えて解説しています。「悪」や「業」は固定された不変のものではなく、過去の「思い(念)」がレコードのように蓄積されたものに過ぎず、心が目覚めればいつでも変えることができると説きます。 また、仏教の「無明」が単なる光の不在(闇)を意味するように、病気や不幸も本来あるべき生命や幸福が十分に現れていない消極的な状態に過ぎません。さらに、神道における「罪」の語源が「包む(実装を覆い隠す)」ことであると言及し、人間の本質は本来「神の子」として素晴らしいものであり、道場や信仰の役割はその表面に付着したゴミ(垢)を洗い落とすことにあると強調しています。
065 30年の苦しみが一瞬で消える!罪の意識を完全に解放する言葉の力
チャプター(タイムスタンプ)
Plaintext
00:00 人間の思い込みと言葉による心の洗浄
00:21 天理教の「埃(ほこり)」に見る罪の解釈と鏡の比喩
01:15 水晶の球の比喩:傷つかない人間の本質(実装)
02:00 キリストの罪の許しと言葉の力
02:52 個人的な罪の意識:目を合わせられない奥さんの相談
04:43 過去のトラウマによる30年間の苦しみと解放
06:14 「大したことない」という言葉が持つ救いの力
08:41 誰にも言えない性の悩みや幼少期の罪悪感の事例
10:22 人間は肉体ではなく「神の子」であるという大前提
12:52 神道における「汚れ(けがれ)」の語源:気が枯れること
13:46 祝詞(のりと)と言葉の力による払い清め
14:11 谷口雅春先生の祝詞が持つ本物の霊徳
16:06 魂の高い人の言葉が持つ、病や罪を消し去る力
要約
本講義では、仏教の「迷い」、神道の「罪・汚れ」、天理教の「埃」などの概念を引き合いに出しながら、人間の本質は決して汚されることのない完全な「神の子(実装)」であることを解説しています。徳久先生は、人間の本質を「水晶の球」に例え、表面にどれだけ埃(罪の意識や誤った思い込み)がつこうとも、水晶そのものは傷つきも汚れもしないと説きます。 講話の中では、過去の出来事に30年以上苦しみ、人の目を見られなくなっていた女性や、幼少期の小さな過ちを中高年になっても悔やみ続けていた人の具体的な相談事例が紹介されます。これらの人々が「人間は肉体ではなく神の子であり、過去の過ちは幻である」という言葉の力(祝詞や真理の言葉)に触れることで、一瞬にして罪の意識から解放され、救われていくプロセスが力強く語られています。
066 病気や罪の本質を見抜く!真理が教える「心の波動」と「迷い」の正体とは?
チャプター(タイムスタンプ)
00:00 キリストの奇跡と言葉の力
00:53 病気や痛みの正体と筋肉痛
03:17 写真コンテストの思い出とご縁
05:02 手術直前の設計技師を救った話
07:26 命の網と神の守り
08:48 成長の家の教えと会社の再建
11:57 罪は実在せず心の波動である
16:14 迷いとは何か「真相を知らざるを迷いという」
19:56 本来ないものをあると思う天道(逆さの思い)
要約
徳久克己講師による生長の家『甘露の法雨』の解釈講義。キリストの罪の許しや病気の治癒を例に挙げ、それらはすべて「言葉の力」によるものであると解説します。本来、罪や病気、肉体や物質は実在しないものであり、ただの「心の波動(バイブレーション)」に過ぎないと説きます。また、自身の過去の体験談や会社の再建話を交えながら、本当のこと(真理)が分かっていない状態を「迷い」と呼び、物質の中に喜びや苦しみがあると思う天道(逆さの思い)を正すことの重要性を熱く語っています。
067 お金ができても不幸になる?「むさぼる心」と「今を生きる」真理
チャプター(タイムスタンプ)
00:00 講座の1周年と繰り返しの真理
02:09 地球学校の教えと魂の卒業
03:21 聖経甘露の法雨から学ぶ迷いの本質
06:29 仏教の三毒「むさぼる心」の正体
08:11 高知での産婦人科開業と手作り診察台の思い出
10:51 お金を追い求めた女性の幸福と悲哀の物語
15:04 物質に幸せはない:今あるものへの感謝
17:09 生命の実相第7巻「今を生きよ」の智慧
19:15 チャンスの神様は前頭部にしか毛がない
20:50 谷口雅春先生との会話「いいと思ったら即座に動く」
22:23 満州からの引き揚げ体験と今を喜ぶ心
要約
徳久克己講師による『甘露の法雨』解説講義。講座開始から1年を振り返りつつ、私たちは「地球学校」という魂の修練場に生まれてきており、一生をかけて修行の身であると語ります。今回は聖経の「迷い」の箇所から、仏教の三毒である「むさぼる心」について深掘りします。高知での開業医時代の貧乏体験や、お金さえあれば幸せになれると盲信した女性が闇市で大金を得て逆に不幸になったエピソードをユーモア交じりに紹介。物質そのものに喜びや苦しみがあるのではなく、すべては心の影に過ぎないため、チャンスの神様(前髪しかない)を捕まえるように「今」を全力で喜び、感謝して生きる重要性を説いています。
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